ロバート・ヘルプス略歴

タイムライン

1947 年 にコロンビア大学に入学するも、1949 年にカリフォルニア大学バークリー校に転学し、1951 年 に卒業する。ジュリアード音楽院ピアノ科にも籍を置く。だが芸術的成長については学校教育よりも、個人指導を受けたアビー・ホワイトサイドやロジャー・セッションズからの影響が大きかった。セッションズに対する思慕の深さから、その作品をたびたび演奏し、録音にも残した。

1950 年 代に作曲家として注目を集め、弦楽四重奏曲や最初の交響曲を手懸けている。後者は指揮者レオポルド・ストコフスキーによって初演された。しかし、より重要なのはピアノのための作品群であり、 1969 年 と1976 年の2つの協奏曲や、ピアノを含むいくつかの室内楽曲のほか、独奏曲として「3つのオマージュ Three Hommages 」( 1972 年 、第1曲:フォーレ賛、第2曲:ラフマニノフ賛、第3曲:ラヴェル賛)、「夜想曲 Nocturne 」(1973 年 )、「左手のための音楽 Music for Left Hand 」(1974 年 )、「あやかしのワルツ Valse mirage 」(1977 年 )が名高い。1994 年 の「シャル・ウィ・ダンス Shall We Dance 」は、ナクソスレーベルに自作自演を残した。

母校バークリーを皮切りに、スタンフォード大学やニューイングランド音楽院、プリンストン大学で教壇に立った。1980 年 に南フロリダ大学タンパ校に迎えられ、亡くなった時には鍵盤楽器学科の主任教授を務めていた。


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